「明治の日制定」を求める意見書を提出しました。

令和4年6月9日

日本人は、明治維新の際、幕府支持派と反幕府派が対立していましたが、日清・日露の両戦役においては、この国難に対し国民が一体となって戦った事実があります。
明治時代を振り返り、このような明治を現在の我々の心に甦らせ、私たちが今、何をすべきか考えることが必要と思います。
私はこのように考え、大阪府議会に「国に明治の日制定を求める」意見書を提出しました。

大阪府議会 定例会本会議(令和4年5月期) 6月9日(木)

森和臣 議長
第五号意見書案を議題といたします。
意見書案につきまして、提出者の説明を求めます。西村日加留君。

西村日加留
自民保守の会 大阪府議会議員団の西村日加留です。
「明治の日」制定を求める意見書提出に際し、一言申し上げる機会をいただきまして、誠にありがとうございます。

明治生まれの俳人、俳句を作り、国文化人でもあった中村草田男が、「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んでから九十年余りがたちました。明治生まれの方も数えるほどになりました。
もちろん、私たちにとって明治は、無関係の時代ではありません。明治の先人たちは、我が国の伝統を守りながらも、海外の文化や技術を積極的に取り入れられた。その影響は、現代にも色濃く残っております。

令和日本の基盤は、明治時代に築かれたと言ってもよいのではないでしょうか。まさに、令和の暮らしは、明治に始まる。さらに、疫病と戦争を契機として世界の在り方が大きく変わろうとしている今日、我が国も大きな岐路に立たされております。これからの日本人がいかに生きていくべきかを考える上で、過去、歩んだ道を振り返ることは、極めて有益と言えます。

現行の祝日法において十一月三日は文化の日とされておりますが、単に漠然と文化というわけではなく、明治時代の具体的な歩みを振り返ってこそ、自由と平和を愛し、文化を進めることにつながるように思われます。

本年令和四年は、明治天皇が崩御されてから百十一年目に当たります。この節目の年に、本来の由来に基づく明治の日制定を何としても実現すべく、思いを込めて要請する。この秋に向け、速やかに祝日法改正案を国会に上程し、本年度中に可決成立させることをここに強く求めるため、本案を提出したものです。

説明は以上になりますが、本来なら国会において自民党が積極的に取り組むべきことだと私も十分に理解しております。そして、この提出に当たりましても、強引なことをしたことも理解しております。
しかしながら、本年も折り返しに来ております。与野党問わず自民党以外にも、国会において日本維新の会の国会議員の方も、国会において質問をされております。このことを与野党問わず、どうぞこの秋、このポイントの秋に向けて、この大阪でも声を上げていきたく思っております。

この歴史ある日本の日々、この毎日がある祝日、これを正すべきことは教育にも関係しております。重大な問題だと思いますので、どうぞ皆様、御支持よろしくお願いいたします。
以上です。

討論の後、採決が行われたが、残念ながら、第五号意見書案「明治の日」制定を求める意見書は、賛成少数で否決とされた。

11月3日は明治天皇御生誕の佳節であり、明治6年(1873)に祝日「天長節」と定められました。
西洋列強の圧力を跳ね返すべく幕藩体制を打破し、明治天皇の下で近代国家の建設に取り組んできた記憶を有する当時の国民にとって、この11月3日は特別な日でした。御代が変わった後、この日を明治の御代を顕彰する祝日にしようとの国民運動が展開され、昭和2年(1926)に「明治節」が制定されました。
しかし、敗戦後の昭和23年(1948)に制定された祝日法により「明治節」は廃止され、代わりに、日本国憲法の公布日であることから「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを目的とする「文化の日」と改称されてしまいました。
もちろん「自由・平和・文化」は大切ですが、特定の一日と敢えて結び付ける必要があるでしょうか。それよりも、本来の由緒に基づく「明治の日」とし、明治時代を振り返ることを通じて、国民としてなすべきことを考える契機にするべきではないでしょうか。
(明治の日推進協議会HPより抜粋)

http://meijinohi.com/
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